サラリーマンの苦悩を垣間見た学生時代の思い出
私が大学生時代のことで、今でも記憶に残っている出来事がある。
それは私が大学4年生の春のことだった。
小遣い稼ぎで警備員のバイトを始める
大学4年生となると就職活動の時期なわけだが、当時の私は学生気分が抜けず、もっぱら就職活動に対して真剣に取り組もうとはしていなかった。
当時は、それまで深夜のコンビニ店員として長くバイトしていたのだが、色々問題があってそこを辞めた後は、警備員のバイトでも始めようと思い求人チラシで見た会社に連絡してみたのである。
▽警備員のバイト
当時の待遇は日給8000円(交通費は支給されなかったと記憶している)といった感じとなっており、
警備員というのは、すなわち道路工事における車の誘導であった。
あれっていうのは、道路工事するにあたって業者が交通整備という意味で、警備員を依頼するわけですね。
んで、警備会社には15000円くらいのお金が入って、そのうちアルバイトスタッフには日給8000円が支給されるわけです。
この話は今から20年以上前のことなので、当時の警備会社には仕事が殺到していたらしく、求人においては一挙40人くらいの募集を掛けていました。
その中の一人として、私は採用されたわけだが、警備員においては現場に出るまでの間に4日間ほどの研修を受ける必要があった。
これは当然のことであり、何も分からないアルバイトスタッフが、いきなり工事現場にやってきて交通整理ができるはずもない。
つまり、道路工事のガテン系の気の荒い衆にどやされることのないように、警備員の新人スタッフはとある事務所で4日間の研修を受けてから現場に行くというシステムとなっていたわけなのである。
ってことで、その研修が始まったわけであるが・・
まあ、ダルい。
研修は午前9時から午後4時くらいまであって、その内容としては、交通整理の実演や知識など教習所の授業みたいな感じだった。
私としては、大学4年生の期間だけにおける小遣いを稼ぎに来ているだけであって、何も警備員として食っていくことは考えていない。
それだけに、研修に対するモチベーションは低く、あくびを噛み殺してどうにか授業を聞いていたという感じだった。
ちなみに、警備員の講習にきていたメンツは様々だった。
私と同じ大学生もいれば、フリーターや元自衛隊員といった人も存在しており、
一人だけ50代(推定)のオッサンも存在していた。
おそらくリストラにあってしまい職を失った関係で警備員のバイトを始めたのだと思われる。
その一方で、ナンパ系の男二人組も受講しており、
この二人は講義の二日目に実演がなっていなかった為に、講師のインストラクターからどやされてそのままバックレという形となった。
さらに、
こういった警備員のアルバイトでありがちな、ヤンキー系の女子もしっかりと存在していた。
浜崎あゆみにリスペクトしたかのようなルックスも悪くなく、道路整備中に通りがかりの運転手からジュース等を差し入れされそうなこと確実の雰囲気を醸し出していた。
さて。
このような、4日間の研修から始まり、採用後は1日8000円のバイト代が支給されるわけだが、研修期間においても1日5000円が支給されるシステムとなっており、つまりは4日間で20000円が支給されるというシステムとなっていた。
ただし、この契約が法律上違法であるのかないのかは分からないのだが、
4日間の研修費である2万円は、採用されてから2週間現場で働かないと支給されないというシステムとなっていたのである。
つまり、研修を終えて「やっぱり辞めます」となってしまうと2万円は支給されないということだったのである。
ちなみに、私としてはこのシステムは入社する時に聞いていなかった。
それだけに、自分に合わなかったら研修後に辞めるという選択肢も視野に入れていたのだが、そのシステムを知った時に「最低2週間は働かないとなあ」と考えていた。
まあ、それはそうだろう。
4日間、9時から16時まで研修したのに、その手当である2万円が回収できないというのは痛過ぎる。
その為、研修後は最低2週間。あわよくば、その後も長く続けていきたいと思っていた。
主任とのトラブル
その後、4日間が過ぎて、めでたく現場で働ける段階となった。
研修期間の最終日は、教育担当の社員(主任?)が「卒業おめでとう」てなノリで、アルバイトの研修生を讃えていた。その後、次の言葉を発したのである。
「明日以降、受注した仕事をみんなに伝えていくから、そこから参加できる仕事をみんなの方で選んで、現場に向かうシステムとなる」
つまり、派遣社員のようなノリです。
現場をこちらで選べるということですね。
さらに、続けて話す。
「研修費の2万円は、2週間以上の現場実績がないと支給できないのだが、俺から上層部にお願いして明日みんなの口座に支給することにするよ。現場に向かうのに何かとお金が必要になるだろうからね」
以上のように、研修費の2万円は予め支払われる形となった。
私にしてみれば、長く続けるつもりだったのでどちらでも良かったのだが、まあ先にもらえる分には良しとするべきだろう。
その後、現場での仕事に参加しようと思い主任に話をすると、次のようなことを言われた。
「クロロはちょっと髪が長いよなあ。
それだと、ヘルメットを被った時に耳が隠れてしまう。
もうちょっと髪を短くしないと現場に向かわせることはできないよ」
私は「面倒くせえ~~」と思いながらも、そこは主任の言葉に従うことにした。
その為、髪を切りたくなかったのだが、自腹を切って美容室で髪を切り、再び仕事をもらいに警備員の事務所に向かったのである。
すると、「まだ髪が長い」とのこと。
えっ?これだけ短くしてもまだダメなの!?
正直、面食らってしまった。
そのレベル感、厳し過ぎるだろ!?
これだけ短くすれば大丈夫と思って髪を切ってきたのに、それに対してダメだと言われてしまっては、これは今後ここで続けて行くのは厳しいと思った。
私としてもそこまで髪を短くすることには抵抗があったし、髪を短くするのをちょっと誤魔化したくらいでは通用しないということを悟った。
この警備会社で仕事をするのであれば、ガチで髪を短くする必要がある。
そのレベルのことをするのには抵抗があったので、私はその時点で無理だと思った。
「じゃあ、辞めます」
このように言葉を返すと、主任はマジな表情で「仕方ないな」という返答をした後に次の言葉を発した。
「それじゃあ、支給した2万円を返してくれ。
現場に2週間出ないと支払わない契約だったからな」
上記の主任の言葉に対して私は納得できなかった。
その為、次のように食い下がった。
「その件に関しては、面接した時に聞いておらず知りませんでした。
ですので、2万円は返しません」
当然、主任はカチンとした表情で言い返す。
「いや、2万円は返さないとダメだ。
それは会社のルールだぞ」
その後は事務所内で、
「2万円返せ」「話を聞いてません」の応酬となった。
お互いに一歩も引かない状態となり、その状態が20分近く続いてしまい、隣の部屋では新しいアルバイト生の講習が始まっている時間であったのだが、その講師である主任は身動きが取れない状態でいた。
つまり、授業が始まらず研修生が待たせられているという状態だったのである。
その状態を見るに見かねた、事務所内の片隅でPCを打っていた主任の上司(おそらく所長)らしき人物が間に割って入った。
「片岡(主任のこと)!
お前もういいから、授業に向かいなさい。
研修生が待ってる。」
この言葉を聞いた主任は、その場を離れて隣の研修室へと向かった。
その後、その所長は私に対して次の言葉を投げ掛けた。
所長「君の言っていることは、1+1=3って言っているのと同じなんだよ。分かるか?」
私「はあ・・」
所長「2万円返したまえ。そのお金はあいつ(主任)が本社にお願いして、みんなが現場に出るために必要だからと振り込んだお金だ。あいつはみんなのことを想って対応してくれたんだぞ」
私「そんなこと言いましても、2週間現場にでないと研修費がもらえないとは聞いておりませんでしたので・・」
所長「ほら言った!それが1+1=3っていうことなんだよ」
所長は続けて話す。
「あいつ(主任)は、昨日も朝の5時まで現場で働いて、今日も9時から研修生に講義をしている。それほど、現在人が少ない状態なんだ。
あいつの言うように、君が髪を切れば問題ない話なのだがどうなんだね?」
私「先日、髪を切れと言われて切ってきたのですが、この状態でもダメだと言われてしまうと、これ以上は流石に無理だと思いました」
またも、このような形で話は平行線となると、所長は立ち上が荒い口調で次の言葉を発した。
「君の言うことは分かった。
2万円は返さなくていい。
それじゃあ、4日間の弁当代だけ返してくれるか?
1食500円なので計2000円だ」
この言葉に対して、私は頷いた。
その後、駐車場に戻って車の中から2千円を取り出し、それを握りしめて事務所へと向かったのだが、所長の剣幕がヤバかったので、2千円渡した瞬間殴られるんじゃないかと思った。
今では、そんなことはまずありえない話だが、今から20年前というとブラックな会社がまかり通っていた時代である。
別れ際に殴られそうな雰囲気を感じ取り、内心怒り狂っている所長に恐る恐る、車から持ってきた2千円を手渡したのである。
すると
「はい。お金は返すよ」
私から受け取った2千円を所長はそのまま返してきたのである。
その後、さっきまで怒り狂っていた表情の所長は、穏やかな表情に変わり次のような言葉を発した。
「私だって、働いていると矛盾を感じたり不満に思うことは沢山ある。
だけど会社や社会というものはそういうものだ。君もこれから社会に出て色々と思うことはあるだろうが、頑張ってほしい」
言葉の一つ一つを鮮明に覚えていたわけではないのだが、上記のようなことを話していたと記憶している。
終始バトっていたのだが、最後にはこのような大人の対応をされてしまい、逆にこちらが申し訳のない気分になってしまった。
しかし、それと同時に所長の言葉には、サラリーマンの抱える苦悩の中で前向きに生きようとするひたむきさが垣間見れた。
おそらく40代くらいの年齢の方だったと思われるが、上記のような言葉を発した時に、穏やかではあるが、空元気とも取れるその何とも言えない表情は今でも脳裏に焼き付いている。
それから、社会に出た私は20年以上もサラリーマンとしての生活を日々送って現在に至るわけであるが、今現在では40代を過ぎてその所長と同じ年齢になった。
そして、その所長が最後に発した「会社に対する矛盾や不満」を私が身を置く現状の会社にも感じることは日常的にあるわけで、その所長の当時の気持ちは理解できる。
ただ、何というか、2万円返さないクソガキを相手にしているのにも関わらず、後味を悪くしたくないという大人の対応をとった所長と、その対応の中に垣間見れたサラリーマン特有の苦悩というものが、当時の私にはとても印象的だった。