「麻雀物語2のような人生でありたい」平和・オリンピアのハイセンスさを考察
昨日の記事の最後に「麻雀物語2のような人生でありたい」と書きましたがそれについての私の考えを書いていこうと思います。
この台ってすごくくだらないんですよ。
麻雀をやりながら戦うという設定にそもそも無理があるし強引だな~って思います。
パイコっていうチャンスキャラも登場しますが、これもまたバカっぽいしもやは気持ち悪い。
でも、この感覚ってすごく好きなんですよね~。
シリアスなものはそれはそれでいいのですが、シリアスな中にもこういった「遊び心」や「エロ」があるものっていいなって思います。
そして、そういった感覚の持てる人こそ結果として人生の勝者になれると思っています。
平和・オリンピアのハイセンスさとは?
話は戻りますが麻雀物語2に関して、麻雀をやりながら戦うという無理な設定も「面白ければそれでいいじゃん」という平和(オリンピア)の理念を感じます。
現実に見合ったものを作った結果、それに面白みがなかったら本末転倒であり平和はそこをよく理解しています。
同時に、上乗せ時のあのくだらないダジャレも楽しければそれでいいってただそれだけです。
(特にCRスキージャンプペアではその特性が如実に表現されています)
結局、完成度や世間体に拘った結果、何の面白みもないものができてしまう。
これって特に完璧主義者に多い現象です。
私のブログは完璧なものではなく基本ゆるい気持ちで書いています。
欠点だらけのブログでも読者が楽しんでくれればそれでいいって思ってます。
ですから、私は他人に対して完璧を求めないし、欠点の揚げ足をとって人を蔑むようなことはしません。
実際にそれがいいかどうかは別として、その方が結果的に幸せになれると思っているからです。
人生楽しんだ者勝ちですからね。
気にしないことが最強
だいぶ前に「鈍感力」なんて本がありましたけど、今の世の中人の意見を気にして右往左往しているようですとまず幸せにはなれないでしょう。
例えるとブログのコメントの書き込み一言一言に気にしているようですと、ブロガーなんてやってられません。
世の中には自分の意見を否定されたり攻撃されると気にする人がいるようですが私はどうでもいいことだと思ってます。
例えばブログの質の低さを指摘されたとしても「あえてそう書いているのがわからないの?」としか考えません。
まあ、真っ当な意見があったとしてもそれはそれでありがたいことです。
ブログの炎上について
ですから、私の場合はブログを書いてもう1年以上経過しますが、ほぼ99.9%のコメントを承認し続けています。
もちろん、私がボタン一つでコメントをスパム扱いにすれば、対象者はコメントができなくなり、新たなアカウントからコメントしたとしても新たに承認を得る必要が発生してしまいます。
しかし、私の場合は余程会話が成り立たない荒らしのコメントでない限りは、全て承認しています。
私自身が気にしないこともそうですが、それが本来の議論を楽しむということですので多少マナーや言葉遣いが悪くても会話が成立しているのであれば承認するようにしています。
ただし、私が先日思ったのは下記の記事におけるマハロさんとyu-itiさんのコメントのやりとりです。
沖ドキ モード狙い・天国スルー回数別天井期待値
マハロさんは言ってることは正論かもしれませんが、その言い方に問題があり、しかもyu-itiさんのブログをチェックした上で煽りを入れているので相当なねちっこさが感じられます。
私の人生観からするとそういった他者攻撃というどうでもいいことに時間や労力を費やすことは幸せに近づくことと相反する行為です。
もちろん、論破すること自体が本人のストレス解消になるかもしれないですが、そういう細かいことを気にしている時点で、相当神経質な生活を送っていて寿命を縮めているのではないかと思います。
ですから私としては他人の欠点を気にしたり叩いたりするのであれば、yu-itiさんのよく言う「人生楽しんだもん勝ちだぞ」といった理念を元に、気にしないという選択をします。
結局、個人攻撃をする人は不幸だと思っています。
個人攻撃そのものが不幸ということではなく、その思考が普段の生活の中にも影響を及ぼし不幸を呼ぶということです。
別に、他人に欠点があってもいいと思いますし、それを叩くにしてもそこまで目くじら立てて論破する必要はありません。
ただ、議論自体は楽しいものなので、そこはお互いを尊重した上で意見をぶつけ合ってほしいと思います。
私としては記事の話題に関して読者間で議論を展開してくれるととても嬉しいので、今後もコメントは沢山書いて欲しいと思いますし、そういった意味ではマハロさんやyu-itiさんにはいつも感謝していますね。