人生のピンチをスロットで切り抜け続けた主婦スロッター「エイミー」さん
どもーーー!
パチンコ店長のクロロです。
今回やけにテンションが上がってる理由なんだけど、以前「設定6を掴む為のジャグラー営業裏話」という教材を作った時に、名古屋在住の主婦スロッター「エイミーさん」という人に、レポートを書いてもらったんだけど、そのエイミーさんのレポートがかなり面白かったんで、これは教材のレポートだけで終わらせるのは勿体ないと思い、本人と交渉して当ブログのライターとして毎週水曜日に連載してもらうことになりました。
ちなみに、この連載がいつまで続くかはわかりません。
原稿料も払ってるんで、反応が弱ければ終了になるし、逆によかったら連載は継続させる予定。
▽エイミーさん
ではでは、ここから先は彼女の本文となりますので、宜しくお願い致します。
バブル世代女のホール実践記
私、エイミーは愛知県在住の現在47歳。日勤の仕事をしながら、ホールへ行く日々を過ごしております。
ホール実践についてはこれから書いていきますが、まずは私の自己紹介をしたいと思います。
生い立ち
私は、愛知県に産まれました。私の世代は調べるとバブル世代と出てくるんだけど、私が高校卒業した直後ぐらいにバブル崩壊しているので、バブル時代の恩恵は一切ないバブル世代です。
家業はおもちゃ屋(大人のおもちゃではなく普通のおもちゃ屋(^-^;)。
父はサラリーマンだったので、そんなに儲かってなかったのかな~って思います。
次女として産まれ、商店街の中の店舗の2階で育ちましたが、私が産まれて7年で家業のおもちゃ屋は閉店とし、普通の団地に引っ越して育ちました。
その後、16歳から始めたアルバイトで知り合った男性と高校卒業してすぐ18歳で結婚。
私の時代でもデキちゃった結婚はよく聞きましたが、そうじゃない普通の18歳の結婚はかなり珍しかったですね。
その結婚相手は大学もほとんど行かず、朝からホールに行きパチンコをして閉店まで、そのまま飲みに行き朝まで飲んでまたホールへ行き、お金が無くなるとちょっとバイトしてという生活だったそうです。
その生活の中で知り合い、私はきちんと大学行ってバイトするという生活じゃないと別れると伝え、平日の生活は激変しました。そのあまりの彼の改心?で向こうのご両親にすごく喜ばれ17歳で結婚の話がでて「私たちもつきあっていることだし、まぁいいか」と17歳で婚約してしまいました。
でも週末はパチンコに行ってましたね。
1980年後半 パチンコとの出会い
週末はパチンコに行きたい彼なので、デートは結局パチンコな訳ですよ。
彼は朝9:00開店からパチンコへ。私は家でデートの準備をして11:00ぐらいにホールに行きます。
近くで「まだ~?」と何度も聞きながら、ずーっと待つ時間・・・。
勝てば夕方からのデートは豪華な食事や映画などで楽しみますが、負ければ(ほとんど負けですが・・・)吉野家の牛丼のみっていう感じでした。私が奢ったりしてなんとかデートも楽しむこともありましたけど・・・。
それからも、毎週末の彼のホール通いで私は退屈ですよね。
たまに彼に「何番台で打って」と言われて打つんです。
その頃は、スーパーコンビという一発台が一つの島分40台とか入っている訳ですよ。
今ですと同じような機種で「天下一閃」がありますが、台数が多くても1ホールに10台ぐらいですよね。
その台がズラーっとある訳です。最初は打ち方を教えてもらって打ちました。
\3,000打っても一発も入らないとかザラでしたね。
その後、予定通り結婚式を迎えました。結婚式の準備で仕事を休むこともあったのでその合間に、私はスロットを打つようになりました。
最初は適当に座って打つ感じでしたが、データランプを見てなんとなく「今日はこれが出る!」と朝から打ち始め、数時間でドル箱何箱もなんてこともありました。
隣の人が、ボーナス当たってるのにそのまま揃えずに普通に回してるから「入ってるよ」って教えると「止めて」ってボーナス揃える。コーヒーが増える・・・のループで私の台の横には、コーヒーが7・8本なんてことも。
彼は変わらずパチンコ負け人生。結婚資金なんて一銭もありません。私は、高校3年生の夏休みにアルバイトを掛け持ちして百万円貯めました。結婚式費用はそれぞれの両親が出してくれましたが、新居の家具や電話の権利金などは、全て私が払いました。
その後も、彼は変わらずパチンコ負け人生。
ふとポストを見ると・・・プ○ミスとか請求ハガキが届いてるんですね。
今ある架空ハガキじゃないですよ~。本物です( ;∀;)
昼間は昼間で働いて、夜は知り合いのスナックで働くんだけど、働いても働いても借金が減りません。
そりゃそうですよね。パチンコ行く度に、キャッシュカードの様にプ○ミスカードでお金引き出してパチンコでお金使うわけですから。
車のローンなどもありますが、消費者金融は利息がハンパないのでいつも半年毎に、彼が半年で借りた消費者金融の借金60万~100万をお互いのボーナスで返済。これの繰り返し。
でも「若くして結婚したんだからそら見ろ!」と言われたくない意地がありました。
パチンコや競馬を除けば彼はとても素敵な人だったので、なんとかやりくりして生活しました。
彼の仕事先の関係で引っ越しもあったり、妊娠もあり私が働ける状況ではなかったので、貧困生活はもっと大変になりました。
ガスが止まることもよくありましたし、米が一握りしかない・・・ミルクが買えない。
親に借金を申し出てもなかなか借りれず、消費者金融より高額の利息を要求されました。
(もうその時には消費者金融にも借りれないくらい借金がありました。)
正月は実家に行っても、普通の会話じゃなく借金や私たちの生活の話。出された食事までも、「あんたらに食わせる食事はない」と言われる始末。すぐ帰るしかありません。
毎月、必要なお金が足りない。子供にミルクすらも満足に与えられず子供に申し訳ない。
それなら自分で働いて収入を自分だけで使えるやりくりをした方が、子供が産まれたばかりでもまだマシだと彼と離婚を決意しました。
家財道具や権利全ては私が買ったもの。彼の荷物はダンボール2箱。離婚届けにサインをしてもらい出て行ってもらいました。
その後、子供と二人での生活と彼が私の名前での借金があったので、その借金返済をしながら昼間は正社員で会社に勤め、夜は1日置きに22:00~6:00までの電話受付の仕事。土日は、派遣で一日接客の仕事で35歳まで頑張りました。この間は、一切パチンコ・パチスロはしていません。
42歳の時、知り合いの連帯保証人を引き受けてしまい、結局引き受けた貸借人は破産し私に借金が乗っかってきました。
「あ~ また人の借金を私は返すのか。」
・・・でも自分が、原因を作っているなぁ
と、また借金生活に後戻りです。
最初は仕事を増やし、自分の持ち物を質入れしたりしていましたが、自分の生活と借金の返済がなかなか両立出来ません。
20代の頃の様に昼・夜・土日働いてという生活は、体力的にも無理だと思い別の方法を考えました。
そこで、「株運用」と「パチンコ・パチスロでなんとか稼ぐ」という結論に至りました。
20年パチンコ・パチスロから離れていたので機種はもちろん全然違いますし、スペックなども違う状態です。
でも今は、調べればネットで情報は採取出来ますので、時間があれば調べホールに向かいました。
今はその借金もなんとか返済し孫も産まれ、会社で知り合った男性と今年再婚し幸せな生活を送っています。
今の主人もパチスロしますよ。
会社での会話の中でパチスロするって話を他の同僚から聞いて、付き合っていない時期はランチの時にパチスロの話をしたりしてましたね。
共有出来るアイテムを持っているのは、楽しいです。同じ趣味とは言いません。
「主人はパチスロを打ちに行く」と言いました。
私はパチスロ・パチンコは「稼働」です。
趣味とかではなく、今まで支えてくれた大事な私の生活源です。
ライターになりたいと思ったこともあります。会社に所属すればもっと多くの情報が得られ、稼働がもっと豊かになるのではないかって。
でも、募集要項は東京ばっかりですね。
愛知県で、自分の知識だけですがこれからも頑張っていきたいと思います。
常連さんの顔は結構覚えていますが、一切話すことはありません。
そういったところで情報交換も出来たらと思うのですが、ライバルとなるからでしょうかね。
自分でこれからも情報を採取して稼働を続けていきたいと思います。
これからも自分なりに書いていきますので、是非ご覧になって頂けます様よろしくおねがいします。