バツイチ子持ちの美人パチンコ店員の話 後編
昨日の記事の続きです。
貧困にあえぐシングルマザー
ここではバツイチ子持ちのパチンコ店員についての話をするが、パチンコ店員に関わらずバツイチ子持ちになった時点で、貧困層にならざる負えないといえる。
実際に、先日の記事で書いた美人店員は
月に18万程度の給料をもらい、アパートで小学生の子供と2人暮らしをしていた。
母子家庭なので、医療費が無料となるなどの社会援助はあると思うが、それでも間違いなく生活は苦しいと思う。
というのも、収入源がアルバイト料のみなので、月に20万にも満たない固定された金しか入ってこない。
その状況で、子供を中学生~高校生~大学生まで育てるのは至難の業だ。
少なくとも大学に関してはほぼほぼ無理なのではと思う。
まあ、日本には奨学金制度なるものが存在するので、100%無理というものでもないと思うが。
とにかく、子供が小学生なのであと10年以上は子供を育てる為に働かなくてはならない。
しかしその間、35~40~45と歳をとっていく。
流石に45歳でパチンコ店スタッフをやるのは厳しいだろう(個人的に熟女店員は好きだが)。
システム型貧乏
このように
お金もない・時間もない・考える時間もない
今をその場しのぎで生きていくしかない。
といった状況をシステム型貧乏と呼ぶ。
つまり、このような状況では月額で入ってくる18万はすべて家計に消えてしまい、未来に向けての投資ができないということである。
そして未来に向けての投資とは色々あるが
貯金であったり、リスク管理としての投資や副収入源の確保がそれにあたる。
もちろん、習い事であったり塾に通うことも厳しいだろうから、子供に対する投資もできない。
それによって貧困は次世代へと引き継がれる可能性が高い。
ちなみに、それに対して私の場合を例にすると、将来へのリスク管理を徹底して行っている。
例えば、毎月の給料が50万以上入ってくるのだが、将来の子供の学費や退職後や老後のことを考えてみた時に、まだまだ収入源を増やさなければ心配で仕方がない。
ましてやそれ以外にも病気や事故など、何らかのトラブルが起こる可能性がある。
それだけに、将来のことを考えて行動せねばと思ってしまい、本業以外の時間にも何かと副業をしている状態となっている。
貧困=不幸ではない
私はそのような感じで、バツイチ子持ちの美人店員を哀れんでいたのだが、ある時ふと思ったのだ。
「俺よりもあの女の方が人生楽しんでんじゃねえか?」と
これはどういうことか?
例えば、店舗内での休憩時間の過ごし方においては・・
その女はいつもLINEPOPで遊んでいた。
しかし、それに対して私は・・
和佐大輔のメルマガを読んで、いつもネットビジネスの勉強をしていた。
そして、早番勤務終了後は・・
その女は職場で仲のいいスタッフとラーメンとか食べに行ったりしていた。
しかし、それに対して私は・・
副収入源を得るために帰りがけのパチ屋でせっせとハイエナしていた。
さらに、休日の過ごし方はどうだろうか?
その女は子供の小学校で行われているママさんバレーに子連れで参加して、スポーツや打ち上げの食事会などをエンジョイしていた。
しかし、それに対して私は・・
ハイエナするか自宅でネットビジネスの勉強をしていた。
つまり、その女は金がないながらも
間違いなく“今を楽しんでいたのだ”
しかし、それに対して私はどうだろうか?
将来に向けてのリスク管理ばかりで、今を楽しんでいないではないか!
(まあ、当時はスロット稼働大好きだったので楽しんでいたけどね)
まあ、こういったことはけっこうありがちな出来事である。
人間と家畜どちらが不幸か?
このようなことを話題にすると、私は決まって学生時代にある牛舎で働いていたときのことを思い出す。
四国にある実家の近くに牛を飼育しているところがあったのだが、特に夏休みの時期にはそこの牛舎で牛の世話をするといったアルバイトをしていた。
そして、そこのバイトがめちゃくちゃキツく
牛の餌を運んだり、牛舎の中を掃除したりなど、それはそれは忙しかった。
しかしその一方で、牛は餌を食っては寝るだけという、のんびりした生活を送っている。
つまり、生活のために人間が汗水たらして仕事している一方で、牛は気ままに生きているのである。
そのような状況を冷静に見たときに
「牛よりも人間の方が不幸なんじゃないか」
と思ったことがあった。
もちろん、牛は隔離されている状態なので、自由がなくストレスが存在するかもしれない。
さらには、将来的には食肉としてされてしまう為に、可哀想と思う人がほとんどだろう。
しかし、過労死といったように、労働のストレスで自殺する人間がいる一方で、ストレスを抱えて自殺する牛は存在しない。
そのように考えると人間に管理されている牛は果たして不幸といえるのか?
逆に牛を管理している人間は幸福といえるのか?
とにかく、牛に餌を与える為にせっせと働く人間と、寝そべりながらそれを食べる牛という構図を見たときに何かがおかしいと思ったのだ。
現在と未来のバランス
何ともわかりずらい例え話を書いてしまったが、話を戻すと
未来だけを考えてはいけないし、現在だけを考えてもいけない ということであろう。
その為に、今の私は未来に対する投資をするが、現在においても好きなことには贅沢に金を使っている。
例えば、値段を気にせずに好きなものを食べるし、旅行などにも度々出掛けている。
しかし、それでも空き時間ができてしまうと、ブログ書いたりメルマガの勉強したりと、ついつい仕事ばかりしてしまうわけだが、それはもはや仕事ではなく完全なる趣味といえる。
結局ネットビジネスとは全世界の人と繋がっているRPGみたいなもので
「パチンコ店長のホール攻略」という主人公を育てて、ラスボスである「すろぱちくえすと」を倒したいという、ただそれだけなのである。
(強えぇ・・とても倒せねえ~)
そして、これは余談だが、その美人店員は見た目がかなり可愛かった為に、客からは度々声を掛けられることが多かった。
例えば、ジェットカウンターでメダルを流している最中に
「他の女の子から子供がいるって聞いたけど結婚指輪付けてないんだね?」
とか
「現場監督の仕事で毎月100万以上金が入ってくるから、いつもここで暇つぶしてるんだよ」
とか
「旨い高級焼肉店を知ってる。今度飲み行こうや」
などと
とにかく“金持ってるアピール”をされると嘆いていた。
まあ、そりゃそうだ。
私だって月に10万程度払うから愛人になって欲しい(ぶっちゃけ)。
しかしながら、その女は彼氏や愛人を作ろうとはしなかった。
(私が知らないだけでいたのかもしれないが)
そこの気概に関しては立派なものだが、システム型貧乏から抜け出すのであれば、やはり再婚であったり、ある種のパトロン(支援者)を見つけるべきであろう。
その後、私が転勤してからというもの、その女とはしばらく会っていないが、たまに爆サイなどをのぞくとその女が何かと話題に上がっているので今も元気に働いているのだろう。